元ツムラ社長(津村昭)に2審も有罪

共同通信経済ニュース速報(2002年09月13日)

津村昭元社長大手漢方薬メーカー「ツムラ」(東京)の不正債務保証事件で、同社に70億円の損害を与えたとして商法の特別背任罪に問われた前社長津村昭被告(66)の控訴審判決で、東京高裁は13日、懲役3年、執行猶予4年とした1審東京地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。
津村昭元社長 津村被告は「債務保証は当時の部下が独断で行った」と無罪を主張したが、中川武隆裁判長は、被告の犯行関与を認定した1審判決について「事実誤認はなく正当」などと退けた。

共犯とされた不動産会社社長伊東平吉被告(55)=本名・尹平吉=については、損害のうち4億2000万円を支払うことでツムラと和解したことなどを理由に、懲役3年とした1審判決を破棄し懲役2年6月とした。

判決によると、津村被告らは1993年から94年にかけ、ツムラ子会社(破産)に返済能力がないことを知りながら、架空の事業資金名目で安田信託銀行(現みずほアセット信託銀行)など4社から計70億円を借り入れた。この際、当時社長だった津村被告名義の保証書を担保として差し入れ、ツムラにも債務を負担させ損害を与えた。(了)[2002-09-13-16:59]

 伊東(伊藤、井上)平吉氏はゴルフ場開発などに資金を流用したと言われています。
LinkIcon和解
(http://www.tsumura.co.jp/kaisha/release/2001/pdf/0128wakai.PDF)

 柴田紘次氏の名前も見えます。
 物件一覧の中に平成7年当時の本店所在地もありました。

 株式会社ツムラの社屋:歴史

  • 1893年

    ●津村順天堂本店(1893年(明治26年))

    日本初のガスイルミネーション
    東京都中央区日本橋3丁目4-10

  • 1944年

    ●中将湯ビル(1952年(昭和27年))

    中将湯ビル落成と創業60周年
    東京都中央区日本橋3丁目4-10

登記上の住所は2006年3月までは中央区日本橋3丁目4-10にあった中将湯ビルであったが、2006年4月より千代田区二番町(日本テレビ旧本社向かい側)の社屋に変更となった。

2007年5月に現住所へ移転することになり、千代田区二番町の社屋と千代田区六番町の社屋は売却された。

ツムラのキリン JR東京駅の八重洲中央口前からまっすぐ南東へ延びる八重洲通りと、日本橋の中央通りが交叉する地点の角に、この金属製のキリンは立っている。四つ角の別の向かいの一つがブリジストン美術館があるブリジストン本社ビル。

このキリンは旧社名を津村順天堂といった現株式会社ツムラが、目抜きの日本橋4丁目角に建設した本社ビル(中将湯ビル)の入り口に、さっそうとたてられた鍛金彫刻家の安藤泉さんの作である。(1989年)

安藤泉さんは金属を材料にした大小の動物の彫像で有名で、現在は多摩美大の客員教授なども勤めているらしい。

当時ツムラは、自社製の漢方薬が保険医薬品に認定され(1976年)、入浴剤バスクリンはテレビ広告の成功などで売れ行きが飛躍的に伸びるなどで、破竹の勢いだった。

キリンがいるビルの一階には欧州から輸入したアンチークなどの高価な調度品・工芸品を誇らしげに飾ったショップ(ツムライリュージョン)を開いていたが、どうみても経営者一族の金にあかせた道楽にしか見えなかった。

金色の王冠を頭頂にいただくキリンは、そのお道楽のシンボルに見えた。

ところがバブル経済が破綻して金融収縮がきびしかった1997年、いわゆる『ツムラ事件』が起こる。

創業一族の津村昭氏(ツムラ前社長)が、巨額の債務保証で特別背任罪に問われ、逮捕されるのである。

その後創業一族の放漫経営からの再建をせまられると、道楽のアンチークショップは当然のごとく、閉鎖された。

ツムラの本社も別の場所に移転する→東京都港区赤坂二丁目17番11号。

スターツスターツいまもこのビルがツムラの所有物なのかどうか不明だが、ビルには不動産会社のロゴが掲げられている。

このキリンが、なぜこの場所に立っているのか、いまとなっては理由を知る由もない人々が、その下を毎日往来しているのである。

 津村昭さんの個人資産

1997年、医療漢方薬大手の「ツムラ」の津村昭前社長(当時)が、商法の特別背任容疑で東京地検特捜部に逮捕されました。 ツムラの資産を担保に、金融機関から架空の事業資金名目で70億円(当初の報道では50億円)の不正融資を引き出していました。

後に津村元社長の有罪は確定しますが、発覚当初にカネづかいの一部が判明。そのガキンチョ丸出しの買い物ぶりに、世間はあきれました。
1996年11月1日付の朝日新聞夕刊「ツムラ前社長 『公私混同』コレクター」から引用します。

(前略)ツムラの風間八左衛門社長によると、同社は一連の不透明な債務保証予約問題が浮上した今年1月以降、社内に調査委員会を設け、津村前社長の個人資産や関連会社の資産などを調査した。その結果、本社近くの分室などにスイスの高級腕時計「ロレックス」が数百個、約4億円分も収蔵されているのが見つかった。

さらに、5月までの調査で、バンジョーが約千本、ブランド物のフォークギターやエレキギターが計数百本、ジャズのレコードが数万枚、フランスの装飾つき高級ピアノ「エラール」が約10台あることも把握したという。このうち、個人資産として購入したと認定されたのはバンジョーとレコードだけだった。

ロレックスについては調査委員会がいったん、個人資産と判断したが、その後の調査で、ギターやピアノ同様、1987年に津村前社長が不動産賃貸などの名目で設立した子会社「S・N・L・E REALTY CORPORATION」や、88年に設立した美術品販売の子会社「ツムライリュージョン」の所有物と判明した。

最近までラジオ番組のDJも務めていた津村前社長は一時期、ツムラ本社の地下にあるレストランなどでバンジョーの演奏活動をしていた。調査委員会に対しては「バンジョーのうち高いものは1本1500万円。全部で15億円分はある」と語ったといわれる。

ツムラは、こうしたコレクションのうち子会社所有の財産については、処分を始め、個人資産分は会社に預託させている。
風間社長によると、バブル期に1台1億円から2億円前後で購入した高級ピアノは、10分の1近くまで値段が下がっているなど、「なかなか簿価では売れない」という。(引用おしまい)

コレクションの中身にア然。ロレックス4億円、億単位のピアノが10台。常軌を逸しています。いくら金持ちでも、人として信頼できる性格だとは思えませんね!。

津村昭氏は創業家の3代目社長。好景気(バブル時代)の波に乗って多角経営を推し進めましたが、バブル崩壊(1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期)とともに会社は左前に。役員会をすっ飛ばして勝手に不正融資に走った末の逮捕劇でした。

「津村家は経営者としての人間学教育を怠り、坊っちゃんの欲しがる物をすべて買い与えてきたのではないか」、と想像してしまいますね!。

 ツムライリュージョン(Tsumura Illusion)

1980年代に入ってからは、雑貨販売、美術品の輸入・販売、米国での日用品製造・販売、化粧品販売を展開するなど、事業の多角化を進めていった。

この多角化の一環としてフジサンケイグループが主催したサーカスの冠スポンサーとなり、「ツムライリュージョン」という名称で興行が行われた。

●Siegfried and Roy - The Magic Returns

Siegfried and Roy
これらの多角化事業は、バブル景気の崩壊以降多くが赤字に転落し、経営を圧迫した。

バブル時代の夢まさに、イリュージュン(illusion:幻覚)ですよね!。

バブル時代:1986年(昭和61年)12月~1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象。

 「ツムラ前社長を逮捕 老舗揺さぶる「三代目」の不祥事」 (1996/10/31 産経新聞夕刊)

漢方薬と入浴剤の製造販売大手「ツムラ」の元関連会社を舞台にした約七十億円にのぼる特別背任事件に三十一日、東京地検特捜部のメスが入った。

 前社長の津村昭容疑者(六〇)は社長在任中に、多角経営の失敗などから四期連続の赤字を計上したほか、株価操作疑惑や病院関係者に対するリベート、M資金問題など数々の不祥事が表面化。

 ツムラ内部からもその経営手腕を疑問視する声が出ていた。漢方薬の老舗(しにせ)として業績を伸ばしてきたツムラは三代目の不祥事で大きく揺れている。

 ツムラ関係者は「事業の多角化と家業への回帰が間違いの始まりだった」と指摘する。

  津村容疑者が二代目の津村重舎現相談役の跡を継いで社長に就任したのは昭和五十一年二月。同年に医療用漢方製剤が保険の対象となり、昭和十一年から取り組んできた入浴剤「バスクリン」の販売と併せ「漢方のツムラ」として急成長した。

 しかし、津村容疑者は昭和六十年代前半から漢方薬一辺倒の経営方針を転換する。

 「津村順天堂」から「ツムラ」に社名変更した昭和六十三年から平成二年にかけて経営多角化に乗り出し、書画など世界の名品を扱うツムライリュージョン、ツムラインターナショナル、ツムラ化粧品を次々に設立。さらに、バスクリンの販売増を目指すなど従来の“家業”への回帰を図るようになった。 ところが、ツムライリュージョンとツムラ化粧品はバブル崩壊後に売り上げが減少し、ツムラインターナショナルは米国の化粧品会社の芳香剤部門を買収した金利負担が重くのしかかり百二十億円から百五十億円の赤字を計上。

 起死回生を狙ったバスクリンも大量生産で在庫が増え続け、結局、ツムラは四期連続の赤字を計上、負債は千三百億円にも上ったという。 「昭氏はバスクリンの宣伝では良いアイデアを出すこともあったが、経営能力には疑問があった。

 側近だけで話を決め、役員会では事後承諾が慣例になっていた。こうしたワンマンぶりが今回の事件の遠因」(元役員)。

 津村容疑者は趣味であるバンド仲間を役員に招いたり、異を唱える役員を閑職に追いやることもあった。

 「高級ワインや絵画を会社の金で買いあさり、金額は億単位にのぼっている」(ツムラ役員)ともいわれる。

 こうした経営不振に追い打ちをかけたのが漢方薬の副作用、株価操作をはじめとする数々の不祥事。

 三年に主力商品の小柴胡湯の副作用問題、四年には医療機関に対する不当値引きが発覚したのをはじめ、M資金詐欺にひっかかりそうになったこともある。

 元専務は「部下の結婚式で会ったブローカーに持ち込まれた話。金を必要としていた社長のためだった」と事実関係を認めている。

  五年にはツムラの株価が不可解な急騰を見せ、関係当局が調査に乗り出し、六年には過去三年間にわたって東海地方の系列代理店との間でバスクリンの架空売買が表面化。

 七年には病院など医療機関への委託研究費がリベートと見なされ、東京国税局は約四億円の追徴課税を行った。

 こうした巨額の赤字と一連の不祥事でメーンバンクの三菱銀行が津村社長(当時)の退陣を要求。

 第一製薬との合併話も浮上したが、第一製薬側が難色を示したといわれる。 津村容疑者は昨年六月に事実上退陣し、現在はいとこで第一製薬出身の風間八左衛門氏を社長に据えて「経営改善を図っている」(ツムラ広報部)としている。

 しかし、結局、親族が会社の代表を務めていることで「ツムラは親族以外には冷たい会社。体質改善ができるかどうかは疑問が残る」(業界関係者)という指摘も出ている。

 津村昭さんの趣味

「世界は日の出を待っている」を演奏するバンジョーの津村昭さんです。

ツムラ・イリュージョン・バンド 1991


ツムラ・サマージャズ 1991.8.25


津村昭

●バンジョーを弾く津村さん

2013年4月の津村昭(77)さんです。お茶会での演奏をしています。

津村昭

●ジャズヴォーカルのCD

トラッドジャズの重鎮、津村昭(78)が尊敬する“クランシー・へイス”に捧げる、本格的ディキシーランド・ジャズヴォーカルのアルバム。バックはリーダーの津村昭が自らのバンジョーと青木研(バンジョー)をはじめ日本を代表するトラディショナル・ジャズの代表プレーヤーによる珠玉の演奏が聴きものです。
【2014年10月31日発売】

津村昭唄う

唄う津村昭さん