初代社長
二代目社長
三代目社長
四代目社長
五代目社長
六代目社長
Tsumura & Co. 種類 株式会社
市場情報 東証1部 4540
本社所在地 〒107-8521
東京都港区赤坂二丁目17番11号
赤坂シグマタワービル[1]
設立 1936年4月25日
業種 医薬品
事業内容 医薬品、雑貨品などの製造販売
代表者 代表取締役社長 芳井順一
資本金 194億8,700万円
(2009年9月30日現在)
発行済株式総数 7,077万1,662株
(2010年9月30日現在)
売上高 単体846億74百万円
連結900億16百万円
(2009年3月期)
営業利益 158億20百万円
(2009年3月期)
純利益 91億39百万円
(2009年3月期)
純資産 連結724億11百万円
(2009年3月31日現在)
総資産 連結1351億46百万円
(2009年3月31日現在)
従業員数 単体2,205名、連結2,631名
(2009年3月31日現在)
決算期 3月
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行 13.22%
日本マスタートラスト信託銀行 8.16%
三菱東京UFJ銀行 3.81%
(2010年9月30日現在)
主要子会社 関連会社の項を参照
関係する人物 津村重舎
外部リンク http://www.tsumura.co.jp/
株式会社 ツムラ (Tsumura & Co.) は、東京都港区赤坂に本社を置く漢方薬品メーカーである。1893年創業。
コーポレート・スローガンは「自然と健康を科学する」で、かつての津村順天堂時代には「漢方を科学する」を名乗っていた。
大和国(現在の奈良県)に生まれた初代津村重舎が上京し、日本橋に漢方薬局を開いたのが始まり。津村が故郷から受け継いだ秘薬を元に改良され、創業と同時に、婦人保健薬「中将湯」を発売する。
1900年:中将湯を精製する過程で出るくずを従業員が持ち帰り風呂に入れたところ、夏のあせもが消え、冬には体がよく温まるという経験をヒントに、「くすり湯中将湯」を発売する。さらにこれを改良・研究の結果を得て「バスクリン」となる。
1907年:胃腸薬「ヘルプ」を発売する。
1893年:初代津村重舎が津村順天堂の商号で創業。婦人用生薬製剤「中将湯」の生産販売を開始。
1900年:くすり湯浴剤「中将湯」発売
1907年:胃腸薬「ヘルプ」を発売する。
1919年:目黒工場竣工
1924年:漢方生薬の研究を目的として津村研究所と津村薬草園を設立
1926年:学術雑誌「植物研究雑誌」(主宰:牧野富太郎)を創刊
1930年:芳香入浴剤「バスクリン」の生産販売を開始
1936年:株式会社化
1941年:津村重舎 (二代目)が社長に就任
1943年:満州津村順天堂を奉天に設立
1948年:土壌害虫駆除用農薬「D-D」の輸入販売を開始
1952年:中央区日本橋に本社竣工、中将湯ビルとして運用される
1954年:婦人薬「ラムール」発売
1962年:津村交易株式会社を吸収合併
1964年:バスクリン静岡工場竣工
1972年:浴槽洗浄剤「バスピカ」発売
1976年:漢方製剤が薬価基準収載
1976年:津村昭が三代目社長に就任
1978年:株式公開
1982年:東証一部上場
1983年:富士枝急送株式会社(現株式会社ロジテムツムラ)に出資
1983年:茨城工場竣工
1983年:日本生薬株式会社を設立
1986年:千代田区二番町(通称:麹町・日本テレビ放送網麹町分室向かい)に本社竣工、移転
1986年:入浴剤「日本の名湯」発売
1988年:社名を津村順天堂→ツムラへ変更
ツムラは漢方薬の最大手です。医療用漢方薬では8割以上の市場を占めるガリバーです。
売り上げは948億円、経常利益は153億円。売り上げのうち医療用の漢方薬は約830億円と過半を占めます。シェアは8割とされますから、漢方薬市場は約1000億円です。現在、薬価収載されている漢方薬は148品目ですが、ツムラでは129品目を扱っているダントツのトップ企業なのです。
ちなみに一般向けの漢方薬はツムラとクラシエ(旧カネボウ、葛根湯などで知られる)の2社で占めています。
これでもわかるように漢方薬市場は寡占であり、それは新たな参入が難しいということです。そのトップ企業のツムラはライバルもなく独走状態は変わらないということです。
漢方薬というのは一般の医薬品(西洋薬ともいう)とまったく違った特徴を持ちます。まず、特許に守られている医薬品と違って特許がないです。千年以上前から知られている成分だけに特許の概念に合致しません。だから参入は容易なように思えますが、成分が一種類で分析が容易な西洋薬に比べて、一つの生薬でも複数の成分を含んでいて、分析や生産が難しいです。しかも、複数の生薬を混ぜて(合方)、一つの漢方薬にすることも多いです。つまり、西洋薬と違って、安定的な品質を確保することが難しいのです。極端に言えば、大量生産になじまない。こうしたところがら、新規参入はもちろん、ジェネリックもできません。漢方薬のジェネリックは聞いたこともありません。
同じ理由で、ある漢方薬が疾病に効果があるとわかっていても、その漢方薬のどの成分がどう有効に働いているかがわかりにくいのです。効く人もいれば効かない人もいます。だから治験や臨床試験などで論理的に有効性が確認できないのです。西洋医薬のようにピンポイントで効能を持つという性質のものではなく、経験則に頼らざるを得ないのです。そのため、どうしても民間医療の域を出ることができないでいました。治療ではなく、予防医薬という形でしか捉えられません。つまり処方する病院や医師が少なかったということです。
ただ、医療用漢方薬の市場もツムラなどの努力で最近では認識が変わりつつあり、処方する病院も増えています。特に西洋医薬では対応できない症状に効能を持つ漢方薬が知られてきており、ツムラではこうした漢方薬を中心に病院向けのMRを増強して、普及活動を強化しています。
西洋医薬にない効能を持つ漢方薬は、不眠やはいかい、幻覚など認知症の周辺症状に効果がある「抑肝散」、機能性胃腸症などに効く「六君子湯」、外科手術後の腸閉塞などを改善する「大建中湯」の3種で、今後、より多数の臨床データを採っていき、漢方薬処方に抵抗のある病院の医師への周知を徹底させていく方針です。
普及は徐々に進みつつありますが、本格的に採用する医療機関はまだまだ少ないです。つまり市場が小さいということで、新規参入にうまみがないのです。こうした理由からも、新規参入が難しい分野なのです。ツムラの独走状態は当分続くと思われます。
しかも、ツムラに追い風が吹いているのは医薬品市場が縮小していく中、医療用の漢方薬市場が成長しているということです。年間8%以上の伸びを見せている成長市場なのです。寡占構造の成長市場だというわけで、ツムラはその追い風を存分に享受することになります。
こうした状況はツムラも認識しており、このほど同社ではバスクリンなど入浴剤を扱う分野を切り離し売却しました。漢方薬に経営資源を集中するためのリストラです。
売却したのはツムラライフサイエンスという子会社で、主に入浴剤を扱っていましたが、この子会社がツムラの保有株すべてを買い取ってMBOをかけることになります。
バスクリンという強固なブランドを持ち、売り上げも100億円規模です。入浴剤の国内シェアは2割強と、花王に次ぐ2位をキープしています。この有力事業を惜しげもなく外に出すところにツムラの漢方薬にかける執念を感じさせられます。
漢方薬は中国で千年以上前から伝わっている民間療法で、原料は草の根や菌、キノコなどの生薬です。わかっているだけで150種類程度あるが、同じ原料でも産地や部位など細かく分かれさらに配合させたりすれば10万種くらいになるといいます。現状ではそのすべてが把握されているわけではありません。
西洋医薬のシーズ発見から医薬品開発と通じるものがある。論理的な西洋医薬と経験則の漢方薬との違いだけです。
西洋医薬もボルネオやアマゾンのジャングルなどから天然のシーズを発見することから始まる。アスピリンの原料はアマゾンの密林で採れるシダレヤナギの一種だったり、ペニシリンは青カビの一種から作られ、アステラス製薬の免疫抑制剤プログラフはボルネオの熱帯密林で自生するカビの一種だったのです。
こうした天然のシーズはやみくもに探しても発見できるわけではない。それこそ砂漠から針一本を探し出すようなものだ。ではどうやって求めるかというと、現地の原住民たちから情報を集めるのです。彼らの呪術や民間療法で、熱が出たらこの木の根を煎じて飲ませれば治るというような情報を得て、その木の根から成分を抽出する(先導化合物Hリードコンパウンドという)。それを分子レベルで毒性を薄めたり、大量生産に適するように加工を加えて、初めて医薬品としての実験段階に入るわけです。
漢方薬も同じです。実験の代わりに時間をかけての経験則を積み上げるという手法の違いだけです。
原産地の中国では数千年の文化的歴史があり、それは漢方薬という形で連綿として伝えられてきました。
たとえば冬虫夏草。蛾や蝉、蟻、蜂などのさなぎや幼虫に寄生するキノコのことで、清王朝のころから不老不死の薬草として皇族や特権階級の間で珍重されてきた。これが数十種類のアミノ酸やビタミン、ミネラルなど微量元素などを豊富に含んでいることがわかっており、滋養強壮に効くという漢方の効能だけでなく、日本の金沢大学の研究によって、免疫力を高める薬効メカニズムが解明されている。この冬虫夏草は中国で約350種類あるといわれ、その成分分析から医薬品への応用も期待されている(漢方薬の材料となる薬草は吉林省、四川省、雲南省、貴州省、広西省、内モソーゴルなどが産地)。
将来の漢方薬の可能性はきわめて高いわけでして、袋小路に入りつつある現在の西洋医薬の開発システムとはまったく別の次元のものとして期待されます。ゲノム創薬の開発手法が確立すると、原料としての漢方薬はより重要性を増す可能性もあるし、現在でもオーダーメイドで処方される漢方薬は体系的にその手法を確立していけるでしょう。
こうしてみると漢方薬トップのツムラは他の追随を許さないノウハウを蓄積しているわけで、ブロックバスター医薬品一つで爆発的な企業の成長が可能な他の西洋医薬品メーカーとは違うビジネスモデルを構築しているといえます。
長期経営ビジョンで「グローバル・ニッチ」を謳う「ツムラ」には、「成長鈍化」という言葉が似合う。ニッチとはいっても、医療用漢方薬で8割のシェアを握る独占状態であるにもかかわらず、業績がパッとしないからだ。
2017年3月期の第3四半期累計決算では、売上高こそ1・6%増の879億円だったが、営業利益は139億円、経常利益は146億円と、どちらも前期比10%を超える減益だ。
年間予想でも、売上は1154億円と微増だが、営業利益は145億円と26・9%減の大幅減益となる見込みだ。ここ数年、売上は微増ながらも大幅減益続きの決算に「成長がピークに達したのではないか」という声さえ聞こえてくる。勿論、ツムラが手をこまぬいているわけではない。
加藤照和社長は16年5月、16年度から21年度までの6カ年「新中期経営計画」を発表した。芳井順一前社長から引き継ぎ、12年に制定した「2021年ビジョン」なる長期ビジョンの第2期、第3期に当たる経営計画だ。
しかし、中身は病院、開業医、診療所へのプロモーションであり、①漢方市場の拡大と安定成長②収益力の継続強化とキャッシュフローの最大化③中国における新規ビジネスへの挑戦という三つの施策を掲げたもの。今まで進めてきた2021年ビジョンをそのまま継承してきたにすぎない内容に、不満の声が株主から上がった。
加藤は風間八左衛門元社長と共に旧第一製薬からツムラに移り、経営を建て直した芳井前社長の〝秘蔵っ子〟と言われ、12年にバトンを受け継いだ。就任した時に芳井前社長の路線から、さらに一歩進んだ積極的な経営を期待されていたのだ。
もちろん、この医療機関に対するプロモーションや漢方医薬教育支援が無意味というわけではない。ツムラは08年に、1930年から取組んできた入浴剤の「バスクリン」事業や家庭用品事業を売却、医療用漢方薬専業に舵を切って以来、「抑肝散」「六君子湯」「大建中湯」の3処方を中心にプロモーションを続けてきた。その甲斐あって、薬価切り下げがあっても売上を微増させてきた実績がある。高齢者ほど漢方を好む傾向があり、近年、漢方医が診察する診療科が増え、それなりに賑わっている。
25年には団塊の世代が75歳以上に達するというのにもかかわらず、医療用漢方薬を独占するツムラの業績が伸び悩むのは、なぜなのか。
ツムラは、奈良県から上京した初代の津村重舎が明治26年(1893年)に東京・日本橋に「津村順天堂」を開店、奈良に古くから伝わる民間伝承薬に改良を重ねて販売したのが始まりだ。
その時に売り出した婦人保健薬「中将湯」が馬鹿当たりして成功。1900年には中将湯を精製する時に出るカスから作った入浴剤「くすり湯浴剤中将湯」で再び大当たりを取る。くすり湯浴剤中将湯は改良を重ねて「バスクリン」になるが、これが日本初の入浴剤で、ブームを作った。
しかし、ツムラはバブル崩壊後、一気に倒産の危機に見舞われる。薬価引き下げに耐えるため、雑貨販売、美術品の輸入販売、化粧品進出など多角化を進めたが、バブル崩壊でこれらの事業が赤字になったのだ。
津村昭が3代目社長に就任したのは76年。この年に医療用漢方製剤は保険収載となり、「バスクリン」と共に「漢方のツムラ」として急成長を遂げた。だが、趣味人としても有名な津村は、次第に趣味に明け暮れるようになり、自宅を改造して地下に音楽室を作り、ギター三昧に耽っていく。揚げ句の果てにバンド仲間を役員に登用するなど、公私混同の経営が続いた。
また、会社の資金を湯水の如く新規事業に投入していった。後に元関連会社を舞台にした70億円に上る乱脈経理で東京地検特捜部により特別背任で逮捕される事件を起こす。
この窮地を救ったのが、津村のいとこに当たり、当時、旧第一製薬常務だった風間八左衛門の社長就任(95年)だ。同時に、風間の部下だった芳井が取締役として加わり、経営を建て直した。第一製薬と三共が合併し、第一三共となった時、ツムラもこの両社の合併に加わるという話もあったが、第一製薬の反対もあり実現することはなかった。
新経営陣の下、ツムラはバスクリン事業をはじめ、生薬分包機事業や生薬によるリサイクル堆肥、植物活性剤などの農業資材事業、さらに陰圧式勃起補助具などという医療機器事業も売却し、医療用漢方薬事業一本に絞った。
同時にコンプライアンス重視を掲げ、二度とトップによる公私混同経営が出ない組織作りを打ち出したことで信用も回復した。
加えて、追い風も吹いた。漢方薬ではライバル会社に成長していた旧カネボウが乱脈経営で破綻したことだ。主力の化粧品は花王のものとなり、医薬品や日用品はファンドの手に渡った。今は「クラシエ」の社名に変わり、漢方薬市場で成長しているが、旧カネボウの破綻で、ツムラは医療用漢方薬市場で独占的地位を占めた。
そんな環境下でも業績が伸び悩む状態では、「成長のピークを超えた」と言われてしまうのも無理からぬことだ。
ツムラが営業利益減の理由に挙げるのは、薬価引き下げと漢方原料の高騰、円安による為替差損の三つだ。
一つ目の薬価だが、ツムラはかつて、漢方薬は薬価改定にふさわしくないと、厚生労働省に引き下げをしないように求めたことがある。無論、厚労省は無視。漢方薬の引き下げ幅は他の医薬品の平均と比べてはるかに低く、影響が少ないからだ。
減益の残りの要因は原料生薬の高騰と円安だ。漢方薬の多くは中国から輸入されているが、中国での原料生薬は10年ごろから投機も加わって価格が高騰している。漢方薬で使用量が多いのは「甘草」や「芍薬」だが、甘草は砂漠地帯で生育しているので、原料生薬の価格が上がると乱獲が始まり、それが収穫減を招き価格が上がる。そこに投機が加わり、さらに中国政府が輸出を制限していることで、原料価格が乱高下を繰り返してきた。
ツムラは安定供給のために北海道夕張市で国内栽培を手掛けた。現在は10種類、700㌧程度の生産だが、20年には倍の二十数種類2000㌧に生産量を引き上げ、使用する生薬原料の25%程度を国内生産にする計画だ。
だが、生薬は栽培が難しい。気候や土壌によって成分が異なり、天候に大きく左右される。
年1回の採取だけに、土壌を改善し栽培法を確立して安定した品質を維持出来るように育てるには、少なくとも10年近くはかかる。その上、人件費が高い日本での栽培、生薬製造コストが輸入原料の価格に対抗できるかは難しい。生薬原料価格は当分、売り手市場が続きそうであり、ツムラにとっては高値輸入を強いられる状況にある。
加えて、日本銀行の異次元の低金利政策に伴う円安の影響が大きい。一時的に円高に振れても、アベノミクスの基本は円安である。麻生太郎内閣とそれに続く民主党内閣時代では1㌦=80円台だったが、安倍晋三内閣になると、1㌦=120円まで進んだこともある。生薬原料の輸入はドル建てで行われるから、8割を輸入する漢方薬メーカーは原料高に見舞われる。
一方、ツムラのような医療用漢方薬メーカーは薬価制度で価格が決められているため、値上げが出来ず、利益は薄くなる。アベノミクスが続く限り、ツムラは売り上げ微増でも減益を強いられる。
もう一つ付け加えるとすれば、米国子会社が漢方処方の科学的エビデンスを得るために行っている種々の研究に費用がかかっていることだ。
しかし、この窮状にツムラも手をこまぬいているわけではない。原料が高くなる分、製造工程の効率化を図ってきた。例えば、製造工程にロボットを導入して省力化を進め、24時間操業を行うと共に、ビッグデータを解析し、原料の在庫を適正化して、原料相場の高騰に備えている。
さらなる対策として、中国の広東省深?市と四川省に生薬原材料を調達する子会社(同省は非連結子会社)を持ち、上海には両社が調達した生薬エキスを乾燥・粉末化してツムラに送る製造・販売会社を持っている。
生薬原料の調達システムについても、16年5月に上海に新たに中国子会社の統括会社設立を決議した。統括会社は単なる持株会社ではなく、生薬を配合した顆粒の漢方製剤化に取り組んでいる。人件費が安い中国で漢方製剤にすることで、コストを下げる作戦だ。
同時に、上海の統括会社は新中期経営計画で掲げる中国での新規ビジネスを担う。本場である中国の中薬(漢方薬)市場は、世界の漢方薬市場80億㌦の10%、ざっと8億㌦(約8800億円)市場と言われている。巨大市場だが、中国では症状や体質に合わせて数種類の乾燥生薬を刻んで煎じて飲む「刻み生薬」が普通だ。ツムラのようにメーカーが生薬を配合して製品化する漢方製剤を刻み生薬が多い市場に売り込もうという戦略は、刻み生薬に慣れきっている中国人の市場にどのくらい食い込めるのか、全くの未知数だ。
ある商社マンは「富裕層の多い都会ではある程度食い込めるだろうが、庶民は安い刻み生薬を選択するだろう」と話す。
日本ではプロモーションの効果で、漢方を処方する医師や漢方医が診察する漢方診療科を設ける病院も増えている。また、医療用漢方薬市場をほぼ独占するツムラ1社の努力で、同社の売り上げが1150億円まで拡大した。
しかし、それで万全ではない。東日本大震災の折、被災地では漢方薬の提供が一時途絶えた。被災地のある医師は「普段は漢方薬も処方していたが、災害に見舞われた緊急時に必要なのはインスリンや喘息薬で、『漢方薬がない』と騒ぐ医師も患者もいなかった」と言う。
「グローバル・ニッチ」のツムラの飛躍には限界があるようだ。
(敬称略)by 集中出版株式会社